ネパールスタディツアー 9
大阪の高校生たちとネパールに行かれた「国際交流の会
とよなか(TIFA)」の会員のY.Mさんの旅行手記「ネパール
スタディツアー」を数回にわけて、ご紹介しています。
「ネパールスタディツアー」を最初から読む場合 ↓
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ネパールの旅7日目
私は、夜明け前、寝袋の中で、空が白むのを待っていた。
一度は、Uカーブを曲がりきれず、私たちはバスから降りて歩いて
というのは、Happy Girlsの宿舎のトイレは、外の庭に
あり、夜は懐中電灯をともしながら行かなくてはいけない。
あり、夜は懐中電灯をともしながら行かなくてはいけない。
すると鶏のコケコッコ—と共に、子どもたちの笑い声が聞こえてくる。
高校生は、すでに起きていて、子どもたちと楽しく談笑している、
若いっていいなあ!
朝食は、日本のカレーをみんなで一緒に作ることになった。
野菜と鶏肉は、昨日シンズリマリの市場で調達したが、肉が足らない
ので、飼っている鶏を一匹絞めることになった。
ので、飼っている鶏を一匹絞めることになった。
高校生は、絞めた鶏の毛をむしったり、肉を小さくぶつ切りにしてくれた。
彼らには、まったく初めての経験である。
日本に帰ってからの報告会で、高校生は、命の連鎖と食べることの感謝の
念を強く感じる体験だったと語っていた。
鶏を絞めて皆でカレーをつくる
美味しくできた日本版カレーを食べた後、子どもたちの通う学校に
一緒に行った。
一緒に行った。
たった1晩だけだったが、別れは名残惜しく、ハグの連続で、子ども
たちと別れた。
たちと別れた。
10時過ぎに、次の目的地ドゥリケル町に向けて出発する。
日本のODA支援で作られた道路を登ること1500メートル、
バスの窓からの眺めは抜群、高いところまで登ってきたなあ!と
実感するが、この高さを下っていかないといけないと思うと恐ろしく
なった。しかも、道路工事が完成しているのは、途中まで。
実感するが、この高さを下っていかないといけないと思うと恐ろしく
なった。しかも、道路工事が完成しているのは、途中まで。
ハラハラドキドキのバスの旅
ここからが、未舗装、ガードレール無し、道幅狭し、といった悪路が
延々と6時間ぐらい続いた。崖側に座っていた私は、手に汗を握り、
冷や冷やの連続(心臓に悪かったわあ!!)
冷や冷やの連続(心臓に悪かったわあ!!)
一度は、Uカーブを曲がりきれず、私たちはバスから降りて歩いて
山道を歩いて下り、バスは、崖をスコップで削り道幅を広くすることで
やっとカーブを曲がることができた。
やっとカーブを曲がることができた。
カーブを回りきれず、みんなバスから降りる
バスから降りて、歩いて山道を下る
我々は、全員悪運強しで、無事に7時前に、ドゥリケルの町にある
僻地医療の本部病院に着いた。
病院は、世界各国の寄付からなっていて、この高校生のスタディツアー
に同行してくれたタラ・セラさんは、生まれ故郷の診療所建設を寄付した。
病院を案内してもらった、乳幼児の死亡率は高く、結核、栄養失調、下痢
で日本では考えられない病歴である。
に同行してくれたタラ・セラさんは、生まれ故郷の診療所建設を寄付した。
病院を案内してもらった、乳幼児の死亡率は高く、結核、栄養失調、下痢
で日本では考えられない病歴である。
病院での説明は絵で説明
非識字者のために絵で説明している
ごみの分別
夕食は、病院の食堂で、モモというネパールの水餃子を、お腹一杯
ごちそうになり、無事に悪路を克服したのでチャイで乾杯!
今日の宿舎のSnow View Hotelに行く。 やっとお湯でシャワーをと
思ったが、結局冷水で洗髪せざるをえなかった。
思ったが、結局冷水で洗髪せざるをえなかった。
つづく
*
ちなみに...
外トイレ。
夜の暗闇の中でもネパールの人たちは、日本人よりも目がきく
ようでしたよ。子どもたちみんな元気そうでよかったね(^^)